ふれあい公園(前編)

港北町にある「ふれあい公園」です。
先日、港の文学館に行った時に頂いた「港の文学館通信」に
この公園内に歌碑があると載っていたので早速見にきたのです。(by歌碑好き(笑)


 

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その歌碑は、公園の奥にひっそりと置かれていました。
歌碑には、「昭和四十一年四月十九日 建之 仙二
愛の鐘朝な夕なを 鳴りわたる 鐘にくらしをあわす 人たち」

そう掘られています。

ここで、自分があとで読み返すためにも この歌碑を掘った「工藤仙二」について
文学館通信&室蘭文学散歩から抜粋して書いておこうと思います。

工藤仙二は大正5年生まれ
旧制室蘭商業学校在学中より作歌を始め、のちに並木凡平に師事した。
口語短歌一筋の道を歩み、昭和12年「炭かすの街」創刊に加わり
昭和18年同誌30号から亡くなるまで、同誌を主宰した。
昭和51年、その功績が認められ、室蘭文化連盟功労賞が贈られたが
翌52年、60歳で急逝した。
工藤仙二は、新日鉄に勤務中、この辺りに建っていた社宅に住んでいたと思われます。
仙二は、その庭から掘り出した石に、1年がかりで自作の歌を彫り上げました。
それを知った社宅自治会の人たちが、資材と労力を提供し、社宅街にあった公園に
素朴で人間味あふれた庶民歌人仙二の歌碑を建ててくれたのです。
「愛の鐘朝な夕なを 鳴りわたる 鐘にくらしをあわす 人たち」
「愛の鐘」とは、社宅のあった港北町自治会で朝晩鳴らしていたものだそうです。

文学館通信&室蘭文学散歩より抜粋

さらに、文学館通信によると、この公園の小道を隔てて、コイカクシ川の清流
そこには、かつての社宅街に通じたセメントの小橋が今も残っている
その社宅街は跡形もなく、草地になっていると書かれていました。

この「ふれあい公園」は港北町のホームストア裏にあります
この辺って、あまり来たことがないんですけど新しい家が建っている
住宅街のイメージがあるんですよね。

新しい家が建ち並ぶこの辺に昔は確かにあった新日鉄の社宅街。
「社宅街に通じるセメントの小橋が今も残っているんだ
そんな小橋をちょっと見て見たいな・・・・・」
そう思い私の足は公園裏の小道へと進んで行ったのでした(笑
後編に続きます。

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